明日が見えるサプリな電子本や書籍のおすすめサイト

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世の中、最近ほんとに難しい。ニュースを見ていても、心が温かくなるようなものは何もない。なんか世の中殺伐としてる。
 みんなくだらない番組を見て、憂さを晴らしてる感じですな。「騙されたら、あきません!」勉強せなあきません。
「明日が見えるサプリな電子本や書籍のおすすめサイト」では、皆さんにとって、元気の出る、明日が見える、あなたのサプリになるような本を紹介します。
忙しいが、毎日が疲れているあなたがちょっとでも元気になればという思いです。

心のサプリとなるような本や電子ブックを一回で完結する形でお勧めしたいと思います。
 2016年イギリスのEUからの離脱、アメリカ大統領選挙など予想だにしなかったことが
起こった年です。「今はカオスのような時代」といわれて久しく、何があっても不思議ではありません。加えて、東南海地震、地球温暖化といった地球規模の大変動も心配されています。このような中では、自分自身がしっかりとした、たしかな気持ちをもつことが何よりも必要とされていると思います。 

人生を狂わせず親の「老い」とつき合う

 ー「介護崩壊時代」に親子の絆を守る - (和田秀樹著、講談社+α新書)

 新聞報道でもされていますが、「100年安心」のはずの介護保険制度の見直しされ、今では見る影もいない無残な姿になっています。
 このような状況の中で、我々は自分の老後をどう考えて、いかねばならないのでしょうか?医者として立場から、ずっと介護の現場を見てこられた和田先生の本を紐解いてみました。

 本書は老年精神医学を専門として、長い間介護の分野で、指導奮闘されて来た、和田氏が昨今の介護崩壊時代における介護の惨状を目の当たりにして、社会システムの整備を急ぐように諭すように警鐘を鳴らしている。それと同時に、老いた親を抱えて悪戦苦闘する人々を支援し、少しでも手を差し伸べるよう筆を執られたものだ。
 今なお医者や介護システムを神聖化して、必要以上に苦しめられている人々の意識を変えることを願って書かれている。
 
著者:和田秀樹
1960年、大阪府に生まれる。精神科医。
東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米カール・メニンガー精神医学校国際フエローを経て、
現在:国際医療福祉大学大学院 教授、一橋大学経済学部非常勤講師、川崎幸病院精神科顧問を務める。
専門:老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学。

 先生は書の最後に「いまこそ患者・家族の団結を!」と訴えられている。
 ここでは、少しでも多くの人々が、介護を自分達に取り戻すために闘うことを願って、書の中身をざっくり紹介したい。
 この本ではおおむね3つの内容に分かれている。
 まず、序章と第1章と第2章で現状で如何に介護崩壊が進んでいるか、その中で我々が普通のことと考える美風を行政が悪用し、普通の人々が苦しめられているかを明らかにしている。

序章 すでに始まっている介護崩壊
  • 医療より深刻な介護の崩壊現象
第1章 あなたの一生を老親介護が狂わせる
  • 貧乏人は行政に見殺しにされる
第2章 「家族で見取る美風」は大うそ
  • 中高年女性をこれ以上苦しめるな 
  • 日本の将来を分ける選択
そして第3章でその介護システムの未来。 見通しで、お先真っ暗闇じゃござんせんかと言う未来。
第3章 85歳以上の人口爆発で介護は破綻する
  • 85歳以上の 4 割が「ボケる」
第4章と第5章、6章、7章で、せめて親子共々共倒れにならないための防護策
第4章 介護崩壊時代の「高齢者の医者選び」
  • 「治療」で「寝たきり」になる? 薬の大量処方で儲けるのはだれ? 
  • 薬の副作用を過度に恐れない 経験者の意見を鵜呑みにしない 
  • 「本当の名医」はどこにいる 大病院より「かかりつけ医」 

第5章 介護崩壊時代の賢い介護保険の使い方
  • 介護保険の使い方を知ってますか
  • 介護保険活用「裏」マニュアル 
  • 有能なケアマネジャーを探そう 
  • 介護保険料は全国平均 4160 円 
  • 「権利」は使わないと損をする! 
第6章 介護崩壊時代の「介護資源の知識と使い方」
  • 要介護の親をどこに住まわせるか 
  • 「親の財産」を惜しむな 
  • 「最期まで自宅」にとらわれない 
  • 100% 親の孤独死を避ける方法 
  • 介護地獄を変える 4 つの方策 
第7章 成年後見と親の財産管理の基礎知識
  • 親の認知症への備えが必要 
  • 忍び寄る「悪徳業者」たち 
  • 親の生活と財産をどう守る? 
  • 親の貯金を介護費用に使うには? 
  • 早めに「転ばぬ先の杖」を 
  • 親が元気なうちから任意後見制度 
おわりに いまこそ患者家放の団結を!
 
以上、本書を読んだ感想は、親の介護は特に、私達はもっと学んで賢くならなければ、騙されるということだ。慨していうと、日本人は権利意識が低すぎる。社会常識に囚われすぎるきらいがある。本書にもあった、「家族で見取る美風」、家族内で何とか解決しようと出来もしないのに無理を重ねる。世間体を気にしすぎる。
 どうだろう、自分自身にも思い当たるが、余りに内側に眼が行き過ぎていないだろうか。全体の5%,10%ぐらいなら、自分の周り、自分自身の固有の問題だと考えても仕方がないが、20%、30%にもなってくるとそれは個別の問題ではなく、社会全体で解決すべき、社会問題なのだ。私達には物事を社会問題だとすることを避ける風潮がないだろうか。別の面からいうと、日本人には「社会」という言葉にどこか違和感を感じていないだろうか。
 それを克服するには、和田先生の言うように患者、家族の団結が広がることを祈る。そのためには、一人でも多く本書を読んで欲しいと願う。



アメリカにおけるデモクラシーについて
  (トクヴィル著、岩永健吉郎訳、中公クラシックス)

 先のアメリカ大統領選挙の結果は、トランプ氏の是非うんぬんよりも、アメリカのマスメディアの予測と余りにかけ離れていたことにショックを受けた。本当に読み違えたのか、わざと読み違えたのか?なんとしても知りたい。アメリカ人がいったい何を考え投票したのかを知りたく、この多少古臭い本を読んだ。

 本書はフランスの没落貴族の家の出のトクヴィルが、1835年に著したアメリカ見聞記だ。といえ、普通の旅行記とは違って、中味はガチガチの民主主義論だ。1827年の7月革命等を経て、時代が大きく変わりつつあった。その中で、民主主義という概念が、アメリカでどのようにあらわれているかを書いたもので、読んでそんなに楽しいものではない。1831年の9ヶ月間の視察で、アメリカの行政制度の中で、「民主主義」を分析し、その独自性、特殊性を炙り出したものである。
 彼は、没落した貴族といえ高潔で、優れた鑑識能力を持っていた。当時としては、珍しく民主的で、先進的な貴族だったろう。
 しかし、彼の認識が時代的制約から逃れることは出来てなかったのは、仕方がないことだろう。
 彼の著作の中に出てくるアメリカ人とはすべて白人であり、その中には奴隷、黒人、インデアン等は出てこない。 勿論当時、このような人々は「アメリカ人」とすら認められてなかっただろうから、彼の頭の中から抜け落ちていても彼を攻めることは出来ない。
 そこで、我々が彼の著作を読むとき、彼のいう「民主主義」は、アメリカの征服者社会の中における民主主義であって、今日的な意味での民主主義ではないことを明記せねばならない。

 もう一つ彼は著作の中で、「人民による多数決は専制支配を生む。その支配が必ずしも、人類的な要求に適うものとは限らない」としているが、この部分については実に卓見で、今の日本でも十分考慮すべき見解であることからも、トクヴィルの評価を一面的にしてはならないと考えている。
 その上で、彼はアメリカの民主政(民主制)を「ヨーロッパにおける権力の尺度はくつがえされ、富めるものはヨーロッパの貧しきものの地位にある。・・民主政の真の長所は全ての人の利益を保障するにある、と主張されたことがあるけれども、そうではなくて、最大多数の利益を保護しうるという点にしかない。そこで、貧者が政治をする合衆国では、富者はその権力が自分達に対して乱用されはしないかと常に心配しなければならない」 と述べている。
その当時はトクヴィルが見たように、「貧者が政治をしていた」のかもしれない。そして、「最大多数の利益を保護しうる」ように機能していたのかもしれない。しかし今では「貧者は政治をしていないが、政治に参加しているつもりになっている」のではないかと。そして「富者はその権力が自分達に対して乱用されはしないか」という富者の怖れを、依然として強く抱いたままである。
 私はアメリカ人が考えている、民主主義を標榜する民主政に対する認識は、このトクヴィルが観察したレベルからいささかも発達していない、つまり昔のままのではないかと考える。富者も貧者も共に。
 この訳本に寄せて、高山裕二という方が「奇妙なリベラリズム?無力な個人の生きる術」という論文を寄せているが、その中に「マルクスに代わってトクヴィルへとさえ言われることがある。」と今の風潮を述べておられるが、もしこの風潮が事実とすれば、先の見解をあわせ、アメリカの大統領選挙を報じたマスメディアの誤謬を生んだ原因が正にこの点にあったのではないかと考える。

 論理が飛躍しているかのように思われるのも心外なので、少し説明をしておこう。
 新自由主義の経済政策の結果、貧富の差が増大し、貧困層(今回の場合、特にアメリカ社会の中で優位に立っているはずの白人のインテリ層)に生活苦と不満と不安が広がっていた。そしてその矛盾による社会的不満はアメリカの富裕層の人々もよく知っていた。アメリカの支配層はその不満を解消する必要に迫られていた。
 そこで支配層は「貧者が政治をする合衆国では、民主政の真の長所は最大多数の利益を保護しうるという点にある」と考えるアメリカ(アメリカ人)の弱点を逆手にとって、自分達が慰撫すべき階層の人々に、「君達の苦境の原因は、メキシコ移民であり、後進国の人々であり、アメリカが一方的に護っている日本である。だから強いアメリカを護るためには、関税障壁を設け、アメリカを最優先し、移民は強制的に排除し、同盟国にはアメリカ軍の軍事費負担を求めなければならない。アメリカ人(彼らの頭の中には、開拓時代にアメリカに渡ってきた移民とその子孫しかない)のための強いアメリカを」とキャンペーンを展開し、その結果トランプ氏を勝利させた。
   一方アメリカの支配者は、現在の経済及び支配体制の行き詰まりが、新自由主義の行き着いた先であることを理解しながら、是正策をマルクス以外に求めようとした。その結果トクヴィルや、トマ・ピケッティなどのマルクス以外(マルクスでなければ何でもいい)に解を求めたというのが真相であろう。
 マスメディアは、社会の起こった変化を忠実に、真剣に見ることから眼を背け、「自分達の希望的観測」だけに大衆の関心が集まるように操作し、選挙戦の枠内だけで、報道し続けた結果、トランプ側(アメリカの支配層)の思惑通りの結果を招いた。
 以上が私が今回の大統領選挙で、アメリカのマスメディアが侵した過ちは、決して「クリントンとトランプの読み間違いなどではなく、真の過ち(犯罪)は「アメリカ国民の最も根源的な矛盾からアメリカ人の目を逸らすよう誘導したこと」だと思う。最も根源的な矛盾とは、アメリカの現実はもはや開拓時代のアメリカとは違っており、民主制も全く変質してしまっているにも拘らず、アメリカ人は未だに昔のアメリカを夢見続けているという矛盾である。
 以上の考察に私が達したのは、この博物館行きのトクヴィルの「アメリカにおけるデモクラシーについて」のお陰である。 時代のギャップを考慮して読むなら、それなりに面白い本と思う。

 そしてこの本が世に現れて約30年後に、アメリカで南北戦争が起こっていることを考えてみるのも、又一興ではないだろうか。

   


 

「やっちゃれ、やっちゃれ! 独立・土佐黒潮共和国」 (坂東眞砂子著、文芸春秋 2010年)

 「やっちゃれ」は土佐弁である。「やってしまえ」とか「やってやろうじゃないか」といった意味で、高知県だけではなく、福岡県でも使うようである。何をやってしまうのかというと、副題にある高知県の日本からの独立である。
 この一見パロディーかと思われるテーマに実に真面目に取り組んだ痛快な小説である。この小説は、土佐人なら実際にやってしまいそうな雰囲気を方言で旨く塗しながら醸成しているところが面白い。最近では沖縄、スコットランド、バルセロナなどがこの話題で登場したのでは・・?


1部 独立

 舞台は、独立か否かを問う住民投票で、「独立」が大多数の得票を得たところで、大きく回り始めた。それまで高知県知事であった、浜口理絵子はこの瞬間から独立国の暫定政府の代表としての重責を担うこととなった。
 日本政府は住民投票の翌日、「高知県の独立問題は目下のところ静観する」という声明を出したきり、無視する態度をとる。一方では、国から派遣されていた役人や医師などの国家公務員は、引き揚げられた。(いわゆる嫌がらせ)
 独立国の名前は、「黒潮共和国」と定められた。高知が国家として認められるためには出来るだけ多くの国家から承認を受けなければならない。そのために暫定政府が発足すると直ちに、外務庁の派遣大使が、海外に飛び立っていった。
 独立国として機能するためには、財源の確保、行政機構の整備、電力供給、警察、保安庁、通貨、食料の確保と食糧自給率の向上問題など等、共和国民の生命を左右する重要な問題が山積していた。
 理絵子たちは、不眠不休で問題の処理に当たるが、押し寄せる難問は津波のような勢いだ。

 一方共和国民の生活は激変した。緊縮財政のため、車は極度に制限され、会社は倒産が相次ぎ、多くの人々が仕事を失いあふれ出した。独立は出来たとしても、国民の生活を維持していくのが大変だ。黒潮共和国は、これらの失業者を開墾にあてがい、食糧の増産の政策を打ち出した。国民達も協力をして、開墾できるところは、空き地でもどこでも開墾に精を出した。これらの事業で大きな力を発揮したのは年老いた女性であった。(土佐弁では、昔若かった女性のことを『ばんば』という。)彼らもこのまま続けば限界集落から抜け出せないという危機感を持っていただけに、一脈の希望を託し、野良仕事に精を出した。また、国がどんどん貧乏になっていくのに反比例して、林業が活発になることが期待された。これは物価水準が下がると日本から輸出する品目も易くなることを意味し、材木にも光があたることを意味していた。「山が生き返る」この高知の山ばかりの国にとって、このことは大きな光明といえた。
 
 しかしそうした中にも、次第に国民の生活は困窮し、市場には密輸品、闇の品目が出回り、不良外人が屯し、治安も著しくて低下し始めた。

 最初のうちは、流れで張り切っていた人々にも次第に緩みも不満も愚痴も出てくるようになった。

 

 理絵子たちが政務に奔走している間、独立を良しとしない勢力の陰湿な工作がひそかに進められていた。その表れは理絵子に対するセクハラ騒動であった。彼らは不満分子を焚きつけ、テレビで理絵子に対する誹謗中傷をすると同時に、「高知県日本復帰の会」なるものを立ち上げ、公然と独立国つぶしにかかっていた。そして既に共和国内にテロリストが送り込まれており、浜口理絵子は自分自身がターゲットになっていることは知る由もなかった。

このよう状況の中で、卑怯な独立国つぶしの動きに先手をとる形で、新憲法の発布を早め、よさこい祭りの最終日と定められた。高知のよさこい祭りは8月9日から3日間、町じゅうが踊りの坩堝と化す。

 

第2部         騒乱

さてよさこい祭りの最終日、大勢の市民がよさこい祭りのフィナーレに集まっている中で、新憲法発布のセレモニーが開始されようとしたその時、踊子の中から一人の若い女が飛び出してきて、理絵子に、「新憲法発布おめでとうございます」と挨拶しながら、バラの花束を無理やり手渡した。そして女が踊子の群れの中に逃げ込んだ瞬間、大きな爆発が起こり理絵子の体はばらばらに飛び散ってしまった。そこに居合わせた多くの市民にも多くの死傷者が出た。

 

 残ったメンバーが亮介を中心として、後の処理を始めるより先に、日本国はこのテロ事件を利用して、黒潮共和国に内政干渉する意図を匂わせてきた。さらにそれほど時間をおかず、内閣府の中に「武力攻撃自体対策本部」を設置、自衛隊を高知県に派遣など「国民保護法の適用」を矢継ぎ早に打ち出してきた。

 黒潮共和国は政府のこの方針を内政干渉として断固拒否するが、寄田亮介や他の幹部連中も内乱罪の容疑で逮捕されてしまう。

 地方では、自衛隊と一戦構えるとして、武装したり、戦闘体制にはいるものもいて、共和国内は騒然とした雰囲気に覆われた。

 理絵子の夫長谷もまた何とか対抗手段に訴えようとしていた。かれは仲間と協議して、亮介を奪還することを決定した。

彼らは寄田亮介の留置場を直接襲い決行するが、寄田亮介は彼らと一緒に逃げることを拒否し、逆に一人残って救い出そうとしに来た長谷らを逃がしてしまう。長谷はこの作戦に加わってきた元自衛官の悠斗と共に一旦難を逃れるが、そこに悠斗を調べていた高知新聞の記者のゆかりが現れ、悠斗が代表の理絵子を暗殺したテロリストであることを告げ詰め寄る。それを聞いていた理絵子の夫の長谷は悠斗を刺してしまう。瀕死の状態になった悠斗は自分が理絵子を暗殺したことを認め、それが政府の指示に基づくものであったことを明らかにし、長谷を逃がし息を引き取る。

これより少し前もう一人のテロリスト主犯の香坂亜佐美は東京行きのバスに爆弾をしけたが、発見され、乗客に仕掛けた爆弾を投げつけられ爆死している。これらの一連のこともゆかりの調べで明らかになり、政府の陰謀であることが明らかになり、新聞報道される。

 こうして自衛隊は去り、寄田亮介や他の幹部連中も全て釈放され、黒潮共和国は平常業務に戻り、以前にもまして強い指導力が発揮された組織となった。
 高知に続き沖縄などの県が独立を宣言し、新しい大きな流れとなった。



「トランプ化」するアメリカ VoiceS (日高義樹著、PHP研究所)

 11月10日のアメリカ大統領選挙の結果は全世界に衝撃を与えた。わたしも衝撃を受けた一人である。その理由は、トランプのような人物が大統領に成るはずがないと思い込んでいたからである。またアメリカの支配層といわれる人々も、トランプは応援していないという報道を信じ切っていたからである。
 
 ところがいざふたを開けてみると中間報告で、最終集計ではないが、トランプ氏279票:クリントン氏が228票というかなりの大差でトランプ氏が選挙戦を制した。ところが得票数で見るとトランプ氏59,611,678 票 に対しクリントン氏59,814,018 票とクリントン氏が逆にトランプ氏を上回っている。これが小選挙区制の理不尽なところであると思うが・・。また、アメリカのマスコミはいったいアメリカの世相をどう見ていたのか。彼らの報道と現実の食い違いに違和感すら覚えた。
 さて前置きはさておき、表題の本である「トランプ化するアメリカ」を電子書籍で今年の半ばに読んだが、内容的には大きく分けて3つに分かれる。その第1は、今回のアメリカ大統領選を巡って、トランプ氏とクリントン氏がそれぞれどう見られているか、どのようなポジションについているか?であり、第2は、アメリカの国内の状況で、内部的な状況の紹介である。そして3つ目は、アメリカの国際的な位置づけを分析したものである。
 第1の部分では、著者はトランプ氏とクリントン氏の双方が、アメリカ国民にとって、それほど望ましい候補者とは思われていないということ、両候補ともアメリカ国民にとって「決まりの悪い存在」として見られているということが述べられている。そしてこの見方というのは、投票日まで決して揺らぐことなく続いたと言え、著者の日高義樹のの見方は正しかったといえる。
 第2に部分について、現在のアメリカの政治が「異常にねじ曲がって」いて、これまでもアメリカの政治の振り子が片方に振れすぎることがあったが、新しく登場した大統領がその振り子を逆方向に戻すのが常であったが。オバマ大統領はそれを戻すことなく任期を終わってしまった。アメリカ人は「アメリカ政治がうまく機能していない」という認識をトランプ、クリントン支持者共に持っている中で、今回の大統領選挙が闘われたが、大統領選は結局それを修復する方向に向かわず、「アメリカをよりひどい分裂と混乱に陥れている」と分析していた。結局この分析も著者の正しさを証明することとなった。
 第3に部分では、北朝鮮の核開発、プーチン大統領の世界戦略、中東問題、対中国問題などから、2016年以降新しい大統領の下で「アメリカのトランプ化というべき深刻な分裂、北朝鮮やロシアの核戦力の強化、中東の地獄の釜のそこが抜けたような収拾のつかない大混乱、中国の経済的発展の終焉などから、これまでにない大きな変化の時代になる」と予測している。
 
 本書はきわめて短い著作ながら、アメリカ大統領選挙の意味づけ、これからの課題、世界情勢の変化などを的確に指摘した優れた著作だといえる。筆者が何よりも言いたいのは、著者の指摘の正しさが、大統領選挙で現実に証明されたものとして、今こそ誰しも読んでおくべき本といえるだろう。 






 「獄中記」(佐藤 優著、岩波書店)
 この著作「獄中記」は、権力の中にいた人間が、「いかに権力が権力の敵を作り出し、それを葬り去るか」の手法を暴き、又自らその権力と闘い、そして権力を如何に護るべきかを綴った稀有の書である。権力の中にいた人間が権力闘争に敗れ、野に下り、権力と闘い、自分の正統性を述べた書物はある意味かなり多い。しかし、この「獄中記」のように、自らの正当性を声高に主張せず、権力がとり得るであろう手法を分析し、権力闘争の中で、彼が護るべき権力は何か、又彼が闘うべき権力は何かを冷静に見つめた著作はこの「獄中記」をおいて他は、そうざらにはない。その意味でこの「獄中記」は誰もが読むに値する著作であろう。
 著者は、元は外交官であった。それが鈴木宗男代議士とタッグを組んで、ロシア外交に取り組んでいたが、政府の謀略に陥れられ(彼によれば)、投獄される。この「獄中記」は佐藤氏の獄中での闘いを綴った512日に及ぶ日記(記録)である。
 佐藤氏がいかなる人物であるか、この本を読むまでは知らなかったし、彼が陥れられた事件がいかなるものであったかは知らない。しかし、この本からだけの受けた感想を言うと、彼を陥れた検察、国家権力はおそらく彼に対しては、及び腰であったのではないかと思われる。
 佐藤氏はずいぶん辣腕の男であったようである。おそらくかなり多くのハイレベルな知人、友人がいたであろうことは想像できる。 人のつながりは恐ろしいところがあり、特に佐藤氏の場合は、外国の高官ともつながりがあるわけで、その辺については、検察にとってもブラックボックスで、恐ろしいところだったであろう。
 立件はしたけれど、余り深く突っ込むわけにはいかず、問題の本質の入り口辺りを軽く撫でた程度で済ましたのではなかろうか。(「獄中記」の中では、匂いだけは残っている。)佐藤氏の方もその当たりはよくわかっているので、適当に検察のために落としどころをこしらえ、自分で投獄劇の脚本を作り上げた感じがある。但し検察の阿吽の呼吸の共同作業で・・。何も分かっていない人間がこういうことを言うのはおこがましいが・・。
 私は著者は「獄中記」の中で、まだ決して本音を語っていないと思うし語る必要もないだろう。彼は護るべきものを残しながら、何時それを出すべきかのチャンスを狙っているように思う。案外、それを明らかにする時は、日本が本当に危機に瀕した時なのかもしれない。そんな気がする。何かを期待させるものを持っている。それが例え遅すぎたとしても!
 「獄中記」の中で、彼が自ら言うように、佐藤氏は保守的な人間である。野にあってシュプレヒコールする人間ではない。人々を組織し、大衆を導く指導者のタイプでもなかった。私は思うに、彼の思いは権力の中にあって、権力を動かし、政治を行う、或いはその補佐を行うことにあったのではなかろうか。それも、指導者ではなく、参謀として。私は、彼のマキャバリズム的な発想にある種の怖さを見た。そう考えると、彼が失脚することで、自らをリセットし直す機会を得たのは、長い目で見るとむしろ彼にとって幸せであったのではなかろうか。
 最後に、「獄中記」たった1作を読んだだけで、あれこれ分かった風なことを書いて申し訳ないが、これから慌てずに勉強させていただきたい。ただ私に残された時間は、そんなに多くないので、彼に願うのは「余り多くを語らず。要所要所でぐっと全体に響くことを言っていただきたい」というのが本音だ。身勝手なのは分かっているが・・。
         

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