孔明の治世と蜀の発展  前回の「①巴・蜀という地方の中国における地政学的な位置づけ」に続き、今回は「② 孔明の治世と蜀の発展」に迫ります。本の紹介文にしては、少したいそうなタイトルであるが、蜀の地を知るためには、どうしてもこのようになってしまう。
 孔明という人は中国の中でも、絶大な人気を誇る歴史上の人物だが、司馬遼太郎はこの本の中で35ページも割いて劉備と孔明に触れている。蜀について書こうとするなら、この二人の歴史上の人物について触れないわけにはいかない。それ位彼らが四川省に残した功績は大きいということだろうか。彼らの人気特に孔明の人気の秘密の理由はどこにあるだろうか。私はこの本を読んで下記のいくつかの理由を考えてみたが、皆さんはどうでしょうか?

① その非凡なる才能・頭脳明晰なることこの上なし
② 清廉潔白であること。(丞相となってからも、粗末な家に住み、一切私財を蓄えなかった
③ 誰彼なしに区別なく誠実に対応した
④ 常に自分のことは第2、第3に置き、職務を全うした
⑤ 奢ることなく、腰低く、媚びたり阿ることなく、ぶれることもなかった

 これらは「三国志演義」の受け売りで、その実像は知る由もないが、どこかの国の首相や知事とはえらく違うものだ。まるで月と鼈、天地の差 ・ 天地ほどの差 ・ 天と地ほどの差 ・ 雲泥の差 ・ 天と地の違い ・ 天と地の差 ・ 大人と子どもほどの差 ・ 圧倒的な差 ・ 天と地くらいの差 ・ 大差 ・ 大違い ・ 雲泥万里 ・ 大人と赤子 ・ 鯨と鰯 ・ 雪と墨などなど数え上げたらきりがない。ウルグアイの元大統領とどこかの国の首相とぐらいの違いは余裕で有る。これが歴史を知るということなのか。今更ながらその認識を新たにした。
 彼は治世で人々の生活を潤したばかりではなく、人々の生活の細かい部分にまで改善を促している。今でも四川省で使われているという一輪車(木牛流馬)を妻と一緒に発明したと言われる。これは四川省のような山道の多いところでは非常に重宝するものであるらしく、どんな狭い道でも、一台に米にして3石程度の荷物を運んだとされる。そしてそれは実戦でも使われたことが三国志には書かれている。
 この三国志という歴史書を書いたのは陳寿という、孔明とは時代的にもつながりが深い人物であったことも、この本で初めて知った。 
 孔明は死ぬまで蜀のために一身をささげ五丈原というところ没するが、死後約2千年たった今でも人々から敬愛されている。
 さてこの私もここまで来て劉備と孔明が合祀されている廟を紹介したサイト「武侯祠」に皆さんと一緒に尋ねてみたい。南京の孫文の墓(中山廟9ほど大きくはないが、静かでしっとりとした落ち着いた雰囲気の祠である。

 蜀の都、成都にはもう一つ杜甫が一時人生で最も平安な生活を営んだ庵がある。それが杜甫草堂であり、成都はこの二つの史跡を抜かしては語ることができない。
 草堂自体も雰囲気があっていいところだが、この草堂に至る街路には杜甫の詩を埋め込んだペーブメントがあり、一層詩情を掻き立てる。
 「しっとりと杜甫草堂に夏の雨」 まさに成都にふさわしい庵である。