この書を読むきっかけになったのは、つい3,4日前の新聞広告に小池東京都知事の写真入で、「東京都は失敗するわけには行きません」というキャッチコピーでこの本の宣伝がされているのを見てからである。東京都で何が起こっているのかを知りたかった。
 この本はノモンハン事件、ミッドウエー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6つの作戦や海戦を分析的に後付したものである。
 この種の本は本来ならば何か胡散臭さを感じるが、余りにタイミングがよく読んでしまった。つまり、今の世の中はどうもおかしいぞ、これはこのもまま行けば再び戦争になるのでは、いや戦争するまでもなく、3流国になり下がってしまうのではないかという恐れが、かなりしっかりした確信となっていたからである。
 そして結論から言うと、この本は面白い。全ての日本人にこの本を読んでほしい。
 司馬遼太郎は「日本人は日露戦争から成長していない。」といっていたが、その通りだと思う。第2次世界大戦も、今もほとんど変わっていない。国の成り立ちも変わっていない。民主国家となったというが、人々特に官僚の頭の構造は全くといっていいほど変わっていない。
 「戦後になっても、戦争の教訓はほとんど払拭されずに、その流れは今の世の中の地下水流となって脈々と流れているのだ。そして、それは福島の原発事故、東京都の豊洲市場問題などに、まるで「液状化現象」のごとく地上に噴出しているのだ」と実感できた。
   ここで指摘された失敗の本質は、日本人特有のある意味民族性ともいえる事柄に端を発していると思える。
 また、あらゆることが、「天皇陛下」の一言で、問答無用となって、思考が止まってしまったといってよい。
  • ものの見方が短期的である
  • 発想が貧弱である
  • 人のいうことを聞かない
  • 必要以上に情緒的である
  • 人にわかりやすく説明しようとしない 等々
 これらのことは、自分にも当てはまることが多い。昔軍人や官僚が犯した過ちは、特別な人間の過ちではない。普通のおっさんの犯す過ちだと思う。
 いいたいのは、私達一人ひとりが、賢くならないと、又同じ過ちを繰り返すと思う。今度間違えば3度目になる。
 かの責任者たちは、おそらく嘯くであろう。「お前達に言われる筋合いはない。我々は命を懸けて戦ったのだ。批判は後付で何とでもできる」と。
 しかし、それでも、死者に鞭打ってでも国としてやらねばならない。日本人は余りに個人の情を重きに置きすぎる。これらの責任は一人や二人の割腹自殺では取れるものではない。「俺が腹を切るから」「命を賭してがんばる」などという訳の分からない言葉にもう二度と騙されてはならない。