「獄中記」(佐藤 優著、岩波書店)
 この著作「獄中記」は、権力の中にいた人間が、「いかに権力が権力の敵を作り出し、それを葬り去るか」の手法を暴き、又自らその権力と闘い、そして権力を如何に護るべきかを綴った稀有の書である。権力の中にいた人間が権力闘争に敗れ、野に下り、権力と闘い、自分の正統性を述べた書物はある意味かなり多い。しかし、この「獄中記」のように、自らの正当性を声高に主張せず、権力がとり得るであろう手法を分析し、権力闘争の中で、彼が護るべき権力は何か、又彼が闘うべき権力は何かを冷静に見つめた著作はこの「獄中記」をおいて他は、そうざらにはない。その意味でこの「獄中記」は誰もが読むに値する著作であろう。
 著者は、元は外交官であった。それが鈴木宗男代議士とタッグを組んで、ロシア外交に取り組んでいたが、政府の謀略に陥れられ(彼によれば)、投獄される。この「獄中記」は佐藤氏の獄中での闘いを綴った512日に及ぶ日記(記録)である。
 佐藤氏がいかなる人物であるか、この本を読むまでは知らなかったし、彼が陥れられた事件がいかなるものであったかは知らない。しかし、この本からだけの受けた感想を言うと、彼を陥れた検察、国家権力はおそらく彼に対しては、及び腰であったのではないかと思われる。
 佐藤氏はずいぶん辣腕の男であったようである。おそらくかなり多くのハイレベルな知人、友人がいたであろうことは想像できる。 人のつながりは恐ろしいところがあり、特に佐藤氏の場合は、外国の高官ともつながりがあるわけで、その辺については、検察にとってもブラックボックスで、恐ろしいところだったであろう。
 立件はしたけれど、余り深く突っ込むわけにはいかず、問題の本質の入り口辺りを軽く撫でた程度で済ましたのではなかろうか。(「獄中記」の中では、匂いだけは残っている。)佐藤氏の方もその当たりはよくわかっているので、適当に検察のために落としどころをこしらえ、自分で投獄劇の脚本を作り上げた感じがある。但し検察の阿吽の呼吸の共同作業で・・。何も分かっていない人間がこういうことを言うのはおこがましいが・・。
 私は著者は「獄中記」の中で、まだ決して本音を語っていないと思うし語る必要もないだろう。彼は護るべきものを残しながら、何時それを出すべきかのチャンスを狙っているように思う。案外、それを明らかにする時は、日本が本当に危機に瀕した時なのかもしれない。そんな気がする。何かを期待させるものを持っている。それが例え遅すぎたとしても!
 「獄中記」の中で、彼が自ら言うように、佐藤氏は保守的な人間である。野にあってシュプレヒコールする人間ではない。人々を組織し、大衆を導く指導者のタイプでもなかった。私は思うに、彼の思いは権力の中にあって、権力を動かし、政治を行う、或いはその補佐を行うことにあったのではなかろうか。それも、指導者ではなく、参謀として。私は、彼のマキャバリズム的な発想にある種の怖さを見た。そう考えると、彼が失脚することで、自らをリセットし直す機会を得たのは、長い目で見るとむしろ彼にとって幸せであったのではなかろうか。
 最後に、「獄中記」たった1作を読んだだけで、あれこれ分かった風なことを書いて申し訳ないが、これから慌てずに勉強させていただきたい。ただ私に残された時間は、そんなに多くないので、彼に願うのは「余り多くを語らず。要所要所でぐっと全体に響くことを言っていただきたい」というのが本音だ。身勝手なのは分かっているが・・。