明日が見えるサプリな電子本や書籍のおすすめサイト

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世の中、最近ほんとに難しい。ニュースを見ていても、心が温かくなるようなものは何もない。なんか世の中殺伐としてる。
 みんなくだらない番組を見て、憂さを晴らしてる感じですな。「騙されたら、あきません!」勉強せなあきません。
「明日が見えるサプリな電子本や書籍のおすすめサイト」では、皆さんにとって、元気の出る、明日が見える、あなたのサプリになるような本を紹介します。
忙しいが、毎日が疲れているあなたがちょっとでも元気になればという思いです。

カテゴリ: 書籍・雑誌

人生を狂わせず親の「老い」とつき合う

 ー「介護崩壊時代」に親子の絆を守る - (和田秀樹著、講談社+α新書)

 新聞報道でもされていますが、「100年安心」のはずの介護保険制度の見直しされ、今では見る影もいない無残な姿になっています。
 このような状況の中で、我々は自分の老後をどう考えて、いかねばならないのでしょうか?医者として立場から、ずっと介護の現場を見てこられた和田先生の本を紐解いてみました。

 本書は老年精神医学を専門として、長い間介護の分野で、指導奮闘されて来た、和田氏が昨今の介護崩壊時代における介護の惨状を目の当たりにして、社会システムの整備を急ぐように諭すように警鐘を鳴らしている。それと同時に、老いた親を抱えて悪戦苦闘する人々を支援し、少しでも手を差し伸べるよう筆を執られたものだ。
 今なお医者や介護システムを神聖化して、必要以上に苦しめられている人々の意識を変えることを願って書かれている。
 
著者:和田秀樹
1960年、大阪府に生まれる。精神科医。
東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米カール・メニンガー精神医学校国際フエローを経て、
現在:国際医療福祉大学大学院 教授、一橋大学経済学部非常勤講師、川崎幸病院精神科顧問を務める。
専門:老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学。

 先生は書の最後に「いまこそ患者・家族の団結を!」と訴えられている。
 ここでは、少しでも多くの人々が、介護を自分達に取り戻すために闘うことを願って、書の中身をざっくり紹介したい。
 この本ではおおむね3つの内容に分かれている。
 まず、序章と第1章と第2章で現状で如何に介護崩壊が進んでいるか、その中で我々が普通のことと考える美風を行政が悪用し、普通の人々が苦しめられているかを明らかにしている。

序章 すでに始まっている介護崩壊
  • 医療より深刻な介護の崩壊現象
第1章 あなたの一生を老親介護が狂わせる
  • 貧乏人は行政に見殺しにされる
第2章 「家族で見取る美風」は大うそ
  • 中高年女性をこれ以上苦しめるな 
  • 日本の将来を分ける選択
そして第3章でその介護システムの未来。 見通しで、お先真っ暗闇じゃござんせんかと言う未来。
第3章 85歳以上の人口爆発で介護は破綻する
  • 85歳以上の 4 割が「ボケる」
第4章と第5章、6章、7章で、せめて親子共々共倒れにならないための防護策
第4章 介護崩壊時代の「高齢者の医者選び」
  • 「治療」で「寝たきり」になる? 薬の大量処方で儲けるのはだれ? 
  • 薬の副作用を過度に恐れない 経験者の意見を鵜呑みにしない 
  • 「本当の名医」はどこにいる 大病院より「かかりつけ医」 

第5章 介護崩壊時代の賢い介護保険の使い方
  • 介護保険の使い方を知ってますか
  • 介護保険活用「裏」マニュアル 
  • 有能なケアマネジャーを探そう 
  • 介護保険料は全国平均 4160 円 
  • 「権利」は使わないと損をする! 
第6章 介護崩壊時代の「介護資源の知識と使い方」
  • 要介護の親をどこに住まわせるか 
  • 「親の財産」を惜しむな 
  • 「最期まで自宅」にとらわれない 
  • 100% 親の孤独死を避ける方法 
  • 介護地獄を変える 4 つの方策 
第7章 成年後見と親の財産管理の基礎知識
  • 親の認知症への備えが必要 
  • 忍び寄る「悪徳業者」たち 
  • 親の生活と財産をどう守る? 
  • 親の貯金を介護費用に使うには? 
  • 早めに「転ばぬ先の杖」を 
  • 親が元気なうちから任意後見制度 
おわりに いまこそ患者家放の団結を!
 
以上、本書を読んだ感想は、親の介護は特に、私達はもっと学んで賢くならなければ、騙されるということだ。慨していうと、日本人は権利意識が低すぎる。社会常識に囚われすぎるきらいがある。本書にもあった、「家族で見取る美風」、家族内で何とか解決しようと出来もしないのに無理を重ねる。世間体を気にしすぎる。
 どうだろう、自分自身にも思い当たるが、余りに内側に眼が行き過ぎていないだろうか。全体の5%,10%ぐらいなら、自分の周り、自分自身の固有の問題だと考えても仕方がないが、20%、30%にもなってくるとそれは個別の問題ではなく、社会全体で解決すべき、社会問題なのだ。私達には物事を社会問題だとすることを避ける風潮がないだろうか。別の面からいうと、日本人には「社会」という言葉にどこか違和感を感じていないだろうか。
 それを克服するには、和田先生の言うように患者、家族の団結が広がることを祈る。そのためには、一人でも多く本書を読んで欲しいと願う。



「やっちゃれ、やっちゃれ! 独立・土佐黒潮共和国」 (坂東眞砂子著、文芸春秋 2010年)

 「やっちゃれ」は土佐弁である。「やってしまえ」とか「やってやろうじゃないか」といった意味で、高知県だけではなく、福岡県でも使うようである。何をやってしまうのかというと、副題にある高知県の日本からの独立である。
 この一見パロディーかと思われるテーマに実に真面目に取り組んだ痛快な小説である。この小説は、土佐人なら実際にやってしまいそうな雰囲気を方言で旨く塗しながら醸成しているところが面白い。最近では沖縄、スコットランド、バルセロナなどがこの話題で登場したのでは・・?


1部 独立

 舞台は、独立か否かを問う住民投票で、「独立」が大多数の得票を得たところで、大きく回り始めた。それまで高知県知事であった、浜口理絵子はこの瞬間から独立国の暫定政府の代表としての重責を担うこととなった。
 日本政府は住民投票の翌日、「高知県の独立問題は目下のところ静観する」という声明を出したきり、無視する態度をとる。一方では、国から派遣されていた役人や医師などの国家公務員は、引き揚げられた。(いわゆる嫌がらせ)
 独立国の名前は、「黒潮共和国」と定められた。高知が国家として認められるためには出来るだけ多くの国家から承認を受けなければならない。そのために暫定政府が発足すると直ちに、外務庁の派遣大使が、海外に飛び立っていった。
 独立国として機能するためには、財源の確保、行政機構の整備、電力供給、警察、保安庁、通貨、食料の確保と食糧自給率の向上問題など等、共和国民の生命を左右する重要な問題が山積していた。
 理絵子たちは、不眠不休で問題の処理に当たるが、押し寄せる難問は津波のような勢いだ。

 一方共和国民の生活は激変した。緊縮財政のため、車は極度に制限され、会社は倒産が相次ぎ、多くの人々が仕事を失いあふれ出した。独立は出来たとしても、国民の生活を維持していくのが大変だ。黒潮共和国は、これらの失業者を開墾にあてがい、食糧の増産の政策を打ち出した。国民達も協力をして、開墾できるところは、空き地でもどこでも開墾に精を出した。これらの事業で大きな力を発揮したのは年老いた女性であった。(土佐弁では、昔若かった女性のことを『ばんば』という。)彼らもこのまま続けば限界集落から抜け出せないという危機感を持っていただけに、一脈の希望を託し、野良仕事に精を出した。また、国がどんどん貧乏になっていくのに反比例して、林業が活発になることが期待された。これは物価水準が下がると日本から輸出する品目も易くなることを意味し、材木にも光があたることを意味していた。「山が生き返る」この高知の山ばかりの国にとって、このことは大きな光明といえた。
 
 しかしそうした中にも、次第に国民の生活は困窮し、市場には密輸品、闇の品目が出回り、不良外人が屯し、治安も著しくて低下し始めた。

 最初のうちは、流れで張り切っていた人々にも次第に緩みも不満も愚痴も出てくるようになった。

 

 理絵子たちが政務に奔走している間、独立を良しとしない勢力の陰湿な工作がひそかに進められていた。その表れは理絵子に対するセクハラ騒動であった。彼らは不満分子を焚きつけ、テレビで理絵子に対する誹謗中傷をすると同時に、「高知県日本復帰の会」なるものを立ち上げ、公然と独立国つぶしにかかっていた。そして既に共和国内にテロリストが送り込まれており、浜口理絵子は自分自身がターゲットになっていることは知る由もなかった。

このよう状況の中で、卑怯な独立国つぶしの動きに先手をとる形で、新憲法の発布を早め、よさこい祭りの最終日と定められた。高知のよさこい祭りは8月9日から3日間、町じゅうが踊りの坩堝と化す。

 

第2部         騒乱

さてよさこい祭りの最終日、大勢の市民がよさこい祭りのフィナーレに集まっている中で、新憲法発布のセレモニーが開始されようとしたその時、踊子の中から一人の若い女が飛び出してきて、理絵子に、「新憲法発布おめでとうございます」と挨拶しながら、バラの花束を無理やり手渡した。そして女が踊子の群れの中に逃げ込んだ瞬間、大きな爆発が起こり理絵子の体はばらばらに飛び散ってしまった。そこに居合わせた多くの市民にも多くの死傷者が出た。

 

 残ったメンバーが亮介を中心として、後の処理を始めるより先に、日本国はこのテロ事件を利用して、黒潮共和国に内政干渉する意図を匂わせてきた。さらにそれほど時間をおかず、内閣府の中に「武力攻撃自体対策本部」を設置、自衛隊を高知県に派遣など「国民保護法の適用」を矢継ぎ早に打ち出してきた。

 黒潮共和国は政府のこの方針を内政干渉として断固拒否するが、寄田亮介や他の幹部連中も内乱罪の容疑で逮捕されてしまう。

 地方では、自衛隊と一戦構えるとして、武装したり、戦闘体制にはいるものもいて、共和国内は騒然とした雰囲気に覆われた。

 理絵子の夫長谷もまた何とか対抗手段に訴えようとしていた。かれは仲間と協議して、亮介を奪還することを決定した。

彼らは寄田亮介の留置場を直接襲い決行するが、寄田亮介は彼らと一緒に逃げることを拒否し、逆に一人残って救い出そうとしに来た長谷らを逃がしてしまう。長谷はこの作戦に加わってきた元自衛官の悠斗と共に一旦難を逃れるが、そこに悠斗を調べていた高知新聞の記者のゆかりが現れ、悠斗が代表の理絵子を暗殺したテロリストであることを告げ詰め寄る。それを聞いていた理絵子の夫の長谷は悠斗を刺してしまう。瀕死の状態になった悠斗は自分が理絵子を暗殺したことを認め、それが政府の指示に基づくものであったことを明らかにし、長谷を逃がし息を引き取る。

これより少し前もう一人のテロリスト主犯の香坂亜佐美は東京行きのバスに爆弾をしけたが、発見され、乗客に仕掛けた爆弾を投げつけられ爆死している。これらの一連のこともゆかりの調べで明らかになり、政府の陰謀であることが明らかになり、新聞報道される。

 こうして自衛隊は去り、寄田亮介や他の幹部連中も全て釈放され、黒潮共和国は平常業務に戻り、以前にもまして強い指導力が発揮された組織となった。
 高知に続き沖縄などの県が独立を宣言し、新しい大きな流れとなった。



 この書を読むきっかけになったのは、つい3,4日前の新聞広告に小池東京都知事の写真入で、「東京都は失敗するわけには行きません」というキャッチコピーでこの本の宣伝がされているのを見てからである。東京都で何が起こっているのかを知りたかった。
 この本はノモンハン事件、ミッドウエー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6つの作戦や海戦を分析的に後付したものである。
 この種の本は本来ならば何か胡散臭さを感じるが、余りにタイミングがよく読んでしまった。つまり、今の世の中はどうもおかしいぞ、これはこのもまま行けば再び戦争になるのでは、いや戦争するまでもなく、3流国になり下がってしまうのではないかという恐れが、かなりしっかりした確信となっていたからである。
 そして結論から言うと、この本は面白い。全ての日本人にこの本を読んでほしい。
 司馬遼太郎は「日本人は日露戦争から成長していない。」といっていたが、その通りだと思う。第2次世界大戦も、今もほとんど変わっていない。国の成り立ちも変わっていない。民主国家となったというが、人々特に官僚の頭の構造は全くといっていいほど変わっていない。
 「戦後になっても、戦争の教訓はほとんど払拭されずに、その流れは今の世の中の地下水流となって脈々と流れているのだ。そして、それは福島の原発事故、東京都の豊洲市場問題などに、まるで「液状化現象」のごとく地上に噴出しているのだ」と実感できた。
   ここで指摘された失敗の本質は、日本人特有のある意味民族性ともいえる事柄に端を発していると思える。
 また、あらゆることが、「天皇陛下」の一言で、問答無用となって、思考が止まってしまったといってよい。
  • ものの見方が短期的である
  • 発想が貧弱である
  • 人のいうことを聞かない
  • 必要以上に情緒的である
  • 人にわかりやすく説明しようとしない 等々
 これらのことは、自分にも当てはまることが多い。昔軍人や官僚が犯した過ちは、特別な人間の過ちではない。普通のおっさんの犯す過ちだと思う。
 いいたいのは、私達一人ひとりが、賢くならないと、又同じ過ちを繰り返すと思う。今度間違えば3度目になる。
 かの責任者たちは、おそらく嘯くであろう。「お前達に言われる筋合いはない。我々は命を懸けて戦ったのだ。批判は後付で何とでもできる」と。
 しかし、それでも、死者に鞭打ってでも国としてやらねばならない。日本人は余りに個人の情を重きに置きすぎる。これらの責任は一人や二人の割腹自殺では取れるものではない。「俺が腹を切るから」「命を賭してがんばる」などという訳の分からない言葉にもう二度と騙されてはならない。

 つい先日インターネットで面白い投稿を見た。それは、Wiredというサイトで、「電子書籍が紙に負ける5つのポイント」とTitleの投稿で、私も常々同じような疑問を持っていたので早速拝見させていただいた。曰く、
 「電子書籍には、紙の本にはかなわない(少なくとも、簡単にはかなわない)側面が、まだいくつかある。逆にいえば、以下の5つの問題が解決されさえすれば、電子書籍は制限なく成長していくことだろう」というものであった。その5つの問題とはいったいなんだろう。投稿の著者はその5つの問題を下記の通りとしている。
1) 読了へのプレッシャーがない。
2) 購入した本を1カ所にまとめられない。
3) 思考を助ける「余白への書き込み」ができない。
4) 位置づけとしては使い捨てなのに、価格がそうなっていない。
5) インテリア・デザインにならない。
 確かにどれもこれも理由としてうなずけるものばかりで、また自分に照らしても思い当たる節があるものばかりである。
 タブレットやパソコンに何百冊、何千冊入っておろうと、それでもってかさばる訳ではない。つまり片付かないとか、目ざわりということがない。つまりタブレットやスマホの中に図書館を持って歩いているようなもので、これはタブレットやスマホの裏を返せば利点でもある。
しかしよくよく考えてみると、人間一人が図書館の本を全て読めるわけでもないし、その必要もない。ましてや図書館を持って歩く必要などどこにもないわけだ。 さて本題だが、
 1)については、要は読む側がその本をどこまで必要としているかにかかっている。もしさほど必要なければ、いくら紙の本といえども「積ん読」になってしまう。
 2)については、本の整理がつかないということである。本は目に見えるわけでもないし、物理的に整理できるわけではない。この実に目に訴えないということはややこしい問題を引き起こす。つまり目に見えていないので抽象的になる。
 3)はこれまた由々しい問題なのである。余白に書き込めるということは頭の整理にもなる、内容の確認にもなる。確かに本を読む側からすると少し不便。ノートを取るなど回避策はあるが、ノートとタブレットの2つ管理しなければならない。
4)、5)は本質的な問題ではない。  以上のことをまとめると紙であろうとデジタル情報であろうとさしたる差異はないということになる。

 しかし、それでも私は決定的な違いがあると思う。それは「存在感」である。
 本や紙であれば、そこにどんな情報があるか分かる。しかし一方、タブレットやスマホなら現物があるのは見えるがどんな情報かは分からない。
 本や紙なら1ペ-ジを読み終わっても隣のページがまだ視野の中にあったりする。ところがデジタルな情報であれば連続性はなく、ページをめくると完全に視野から消えてなくなる。これは読む側にとっては大問題となる。  以上から、じっくりと考察しながら、吟味して読むものはやはり紙の方がいい。だが、マンガやライトノベルのようなものは電子書籍が向いていると思うのだが。

「亡国記」(北野慶著、現代書館2015年)
二人の有名人の推薦の言葉が帯封に書かれています。
  • 【斎藤美奈子さん推薦!】 「最悪のシナリオ」が進行する中、日本を脱出した父と娘は生きのびることができるのか。ロードノベルの傑作です。
  • 【小出裕章さん推薦!】 原子力を選択することのツケ、本書に描かれている近未来を避けるためには、私たち一人ひとりが賢くなる必要がある。
 この小説は、東日本の福島原発がモチーフになっている。2017年4月1日、愛知、静岡に震度7の地震が発生。それと同時に東海地方を中心に大津波が発生。これに伴い静岡県にある原子力発電所で核爆発が起こり、主人公の妻はほぼ即死、ということからこの物語は始まる。  主人公の親子は間髪入れず、日本脱出を試み、どうにかこうにか日本は抜け出したものの、それに続く厳しい難民生活が親子二人を待ち受けていた。・・・・ 
 この本のアマゾンのサイトには全部で18件のカスタマーレビューが寄せられていますが、そのほとんどが「極めてあり得べきこと」との感想を持たれ、極めて現実的で深刻な恐れを持たれていることが分かりました。
 この本の推薦の言葉は先の二人の推薦の言葉に続けて「 【火山噴火と地震が相次ぐ日本の未来を明示!】 日本人の真価が問われるドラマ。原発と日本の地理的リスクについて見て見ぬふりをする日本には、どんな未来が待ち受けているのか? 苦難の中でも誠実に生きる親子の感動のラスト!」と警告します。
 原発賛成に方にはなおさらこの小説をお読みいただきたいと私も心から願います。
この小説と非常に似たものに「日本沈没」(小松左京著)がある。「日本沈没」のほうは、純粋に自然現象により日本列島が二つに割れ、沈没してしまうという舞台設定だ。ここでもやはり日本人が流民として世界中に散らばってしまう物語である。
 いずれの小説も最近の太平洋プレートとか津波とか色々の情報からすると起こっても不思議はないことである。「日本沈没」の話は後ほど紹介するとしよう。
 ここで言いたいのは、ぜひこれらの小説に目を通して、実際大事故や地殻変動が起こった場合に備え、何を準備しなければならないかのヒントを汲み取ってほしい。明日、明後日にも日本を逃げ出さなければならない時がくるかも知れない。心の準備と家族を守るために何ができるかよく考えてほしい。それも具体的に!

尚この小説「亡国記」を今まで見たことがない防災の視点から捉えたブログがあったので、ここで紹介する。
タイトル: 「亡国記」から読み解く防災の備え
     

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