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世の中、最近ほんとに難しい。ニュースを見ていても、心が温かくなるようなものは何もない。なんか世の中殺伐としてる。
 みんなくだらない番組を見て、憂さを晴らしてる感じですな。「騙されたら、あきません!」勉強せなあきません。
「明日が見えるサプリな電子本や書籍のおすすめサイト」では、皆さんにとって、元気の出る、明日が見える、あなたのサプリになるような本を紹介します。
忙しいが、毎日が疲れているあなたがちょっとでも元気になればという思いです。

カテゴリ: 小説

「やっちゃれ、やっちゃれ! 独立・土佐黒潮共和国」 (坂東眞砂子著、文芸春秋 2010年)

 「やっちゃれ」は土佐弁である。「やってしまえ」とか「やってやろうじゃないか」といった意味で、高知県だけではなく、福岡県でも使うようである。何をやってしまうのかというと、副題にある高知県の日本からの独立である。
 この一見パロディーかと思われるテーマに実に真面目に取り組んだ痛快な小説である。この小説は、土佐人なら実際にやってしまいそうな雰囲気を方言で旨く塗しながら醸成しているところが面白い。最近では沖縄、スコットランド、バルセロナなどがこの話題で登場したのでは・・?


1部 独立

 舞台は、独立か否かを問う住民投票で、「独立」が大多数の得票を得たところで、大きく回り始めた。それまで高知県知事であった、浜口理絵子はこの瞬間から独立国の暫定政府の代表としての重責を担うこととなった。
 日本政府は住民投票の翌日、「高知県の独立問題は目下のところ静観する」という声明を出したきり、無視する態度をとる。一方では、国から派遣されていた役人や医師などの国家公務員は、引き揚げられた。(いわゆる嫌がらせ)
 独立国の名前は、「黒潮共和国」と定められた。高知が国家として認められるためには出来るだけ多くの国家から承認を受けなければならない。そのために暫定政府が発足すると直ちに、外務庁の派遣大使が、海外に飛び立っていった。
 独立国として機能するためには、財源の確保、行政機構の整備、電力供給、警察、保安庁、通貨、食料の確保と食糧自給率の向上問題など等、共和国民の生命を左右する重要な問題が山積していた。
 理絵子たちは、不眠不休で問題の処理に当たるが、押し寄せる難問は津波のような勢いだ。

 一方共和国民の生活は激変した。緊縮財政のため、車は極度に制限され、会社は倒産が相次ぎ、多くの人々が仕事を失いあふれ出した。独立は出来たとしても、国民の生活を維持していくのが大変だ。黒潮共和国は、これらの失業者を開墾にあてがい、食糧の増産の政策を打ち出した。国民達も協力をして、開墾できるところは、空き地でもどこでも開墾に精を出した。これらの事業で大きな力を発揮したのは年老いた女性であった。(土佐弁では、昔若かった女性のことを『ばんば』という。)彼らもこのまま続けば限界集落から抜け出せないという危機感を持っていただけに、一脈の希望を託し、野良仕事に精を出した。また、国がどんどん貧乏になっていくのに反比例して、林業が活発になることが期待された。これは物価水準が下がると日本から輸出する品目も易くなることを意味し、材木にも光があたることを意味していた。「山が生き返る」この高知の山ばかりの国にとって、このことは大きな光明といえた。
 
 しかしそうした中にも、次第に国民の生活は困窮し、市場には密輸品、闇の品目が出回り、不良外人が屯し、治安も著しくて低下し始めた。

 最初のうちは、流れで張り切っていた人々にも次第に緩みも不満も愚痴も出てくるようになった。

 

 理絵子たちが政務に奔走している間、独立を良しとしない勢力の陰湿な工作がひそかに進められていた。その表れは理絵子に対するセクハラ騒動であった。彼らは不満分子を焚きつけ、テレビで理絵子に対する誹謗中傷をすると同時に、「高知県日本復帰の会」なるものを立ち上げ、公然と独立国つぶしにかかっていた。そして既に共和国内にテロリストが送り込まれており、浜口理絵子は自分自身がターゲットになっていることは知る由もなかった。

このよう状況の中で、卑怯な独立国つぶしの動きに先手をとる形で、新憲法の発布を早め、よさこい祭りの最終日と定められた。高知のよさこい祭りは8月9日から3日間、町じゅうが踊りの坩堝と化す。

 

第2部         騒乱

さてよさこい祭りの最終日、大勢の市民がよさこい祭りのフィナーレに集まっている中で、新憲法発布のセレモニーが開始されようとしたその時、踊子の中から一人の若い女が飛び出してきて、理絵子に、「新憲法発布おめでとうございます」と挨拶しながら、バラの花束を無理やり手渡した。そして女が踊子の群れの中に逃げ込んだ瞬間、大きな爆発が起こり理絵子の体はばらばらに飛び散ってしまった。そこに居合わせた多くの市民にも多くの死傷者が出た。

 

 残ったメンバーが亮介を中心として、後の処理を始めるより先に、日本国はこのテロ事件を利用して、黒潮共和国に内政干渉する意図を匂わせてきた。さらにそれほど時間をおかず、内閣府の中に「武力攻撃自体対策本部」を設置、自衛隊を高知県に派遣など「国民保護法の適用」を矢継ぎ早に打ち出してきた。

 黒潮共和国は政府のこの方針を内政干渉として断固拒否するが、寄田亮介や他の幹部連中も内乱罪の容疑で逮捕されてしまう。

 地方では、自衛隊と一戦構えるとして、武装したり、戦闘体制にはいるものもいて、共和国内は騒然とした雰囲気に覆われた。

 理絵子の夫長谷もまた何とか対抗手段に訴えようとしていた。かれは仲間と協議して、亮介を奪還することを決定した。

彼らは寄田亮介の留置場を直接襲い決行するが、寄田亮介は彼らと一緒に逃げることを拒否し、逆に一人残って救い出そうとしに来た長谷らを逃がしてしまう。長谷はこの作戦に加わってきた元自衛官の悠斗と共に一旦難を逃れるが、そこに悠斗を調べていた高知新聞の記者のゆかりが現れ、悠斗が代表の理絵子を暗殺したテロリストであることを告げ詰め寄る。それを聞いていた理絵子の夫の長谷は悠斗を刺してしまう。瀕死の状態になった悠斗は自分が理絵子を暗殺したことを認め、それが政府の指示に基づくものであったことを明らかにし、長谷を逃がし息を引き取る。

これより少し前もう一人のテロリスト主犯の香坂亜佐美は東京行きのバスに爆弾をしけたが、発見され、乗客に仕掛けた爆弾を投げつけられ爆死している。これらの一連のこともゆかりの調べで明らかになり、政府の陰謀であることが明らかになり、新聞報道される。

 こうして自衛隊は去り、寄田亮介や他の幹部連中も全て釈放され、黒潮共和国は平常業務に戻り、以前にもまして強い指導力が発揮された組織となった。
 高知に続き沖縄などの県が独立を宣言し、新しい大きな流れとなった。



「恍惚の人」(有吉佐和子著、新潮社、昭和47年刊)

 本棚に色あせた古い本を見つけた。私の学生時代に読んで、ある意味衝撃を受けた。「恍惚の人」(有吉佐和子著、新潮社、昭和47年刊)である。本の紙は黄色くなり、カバーは色あせている。しかし、ざーと読み直してみて、その書かれている内容は決して色あせてはいないし、今尚燦然と輝いているように思うのだが。その当時はまだ若かったが、いつか自分もそうなるのではないかという漫然とした恐れが心の片隅に沈殿していたのは事実だ。

 「恍惚の人」はベストセラーとして世に迎えられたが、文壇からは「あんなもの小説じゃない」との声や、丹羽文雄の『嫌がらせの年齢』には及ばないなどの批評があがるなど、文学界から冷遇を受け、有吉はショックを受けた。さらに印税1億円を寄付しようとしたところ多額の贈与税を課されることが分かり、有吉は新聞広告を打ってその不合理を訴えた。

 仕事を抱えながら自分が茂造の面倒をほぼ一手に見ることについて、嫁の昭子が不満を抱くけれども、それに耐え抜いた女性の芯の強さが描かれている。 今の世であれば、こうはならないであろうと思った。それは30数年前は全て女性にかぶせてしまって平然としていた世の中の風土が今では少し変わってきているのかもしれないことの反映だと思う。

 インターネットでは、「また認知症になった茂造が不可解な「他者」として描かれ、その内面心理の動きに全く関心が払われないところは、現在の認知症介護の観点からすると問題を含むであろう。」というコメントもあるが、これは今だから言える話であって、認知症という症状を本人が認識できるようになったのは、ごく最近のことではないだろうか。
 この小説の題である「恍惚」という言葉で初めて?そのような人がいるということを世間の人に認識させたのであって、それから後も、ぼけ、痴呆症など用語自体も定まっていなかった。
 今は予備軍も含めると認知症が疑われる人々が、回りに満ち溢れていて、きちんと向き合わざるを得ない時代に突入している。
 この小説が世に出て、20数年して、「自己責任」という言葉が聴かれるようになった。認知症になったことは、自己責任かもしれないが、1千万人の人が街に溢れる状況での放置・放任は、単なる自己責任では許されない。

本や電子書籍のおすすめサイト 「日本沈没」(小松左京、小学館文庫)

 東北大震災以来、まるではやり言葉のように、何度も耳にする言葉は「想定外」である。私にとってこの言葉は、本当に「想定外」だったというより、自らの責任を逃れるための方便にしか聞こえない。
 この「日本沈没 第1部」に登場する科学者たちは(敢て一部の学者と言うが)日本のはるか南の海上に起こったわずかな変動を見逃さず、追求し続け、ついにあり得ない全くの想定外の「日本沈没」という現象を、完全に「想定内の現象」という認識に到達してしまった。そして、その想定しきったことに対し、日本の政府が国民に与える動揺を極力抑えつつ、密かに準備を進めていく。準備と言っても、1億2千万の人間を日本から脱出させる作業である。その苦難に満ちた過程が第1部である。この作品の作者は、この時(1973年)は日本の政府の機能や官僚に対して一定の評価と期待を抱いていたように思える。そしてそれが、当時の日本の世論を代弁していたとも言える。
 ところがそれから40年後、まったく別の作品ではあるが、「亡国記」に出てくる政府高官と官僚たちは国民を見捨てて逃げ去る卑怯者集団として描かれている。作者の世界観の違いといえばそれまでだが、これが世論の一定の反映の結果とすれば、自ずと面白いものが見えてくる。
 二つの作品を読んで感じることは、「想定外」を作らないようにすることである。
 それでも「想定外」のことが起こってしまう。いや自然の力の大きさにはその想定すら許さない。まるで人間の浅はかさをあざ笑うが如しである。 しかしそれでも尚、想定をしなければならない。「想定外」を「想定内」としなければならない。 
 田所博士はいう。「自分の行動のよりどころはカンだ。」 この確かなデータと見識に基づく、「カン」こそが。今なにより、必要とされているのかもしれない。 「○○村に住む人々」は分かりきったデーターを弄繰り回して、人々に科学的装い?をこらして、分かりにくく説明する。自分が如何に高度な知識を持っているかを装うために。人間そろそろ自分自身に目覚めてもいい頃ではないだろうか。この作品「日本沈没」の著者は、全ての人々に自分の頭で想定をすることを要求する。それが人間というものである。
 物語の始まりは、南海の小さな島がある日忽然と姿を消してしまったことから始まる。これをきっかけとするかのように大きな地震や富士山の爆発が日本列島を襲う。田所博士はこの自然現象の発生にただならぬものを感じ、もう一人の主人公である海底調査船の操縦士の小野寺と共に全貌の把握に全精力を傾ける。次第に明らかになって来たのは、日本が沈没するかもしれないという地殻の大変動であった。
 この迫りくる未曾有の事態をうけ政府は、日本人全員を海外に非難させるべく、世界各国と極秘の交渉に入った。小野寺は極秘プロジェクトから離れ、恋人共に国外に逃れようとする寸前、牙を向いた富士山や地殻変動に巻き込まれてしまう。田所は想定外を想定外とせず警告を鳴らし、人々にその危険を知らしめようとするが、奇人扱いをされる。
 第一部は沈み行く日本列島から逃げ延びた人々、逃げ遅れ海の底に沈んだ人々を空前のスケールで描く。
 そして言いたいのは、このように「日本人が日本人でなくなる」こと起こりうるのは、単なる自然現象によるものだけではなく、経済的、政治的、戦争、テロ、事故などの人為的な原因によっても、起こりうることである。世界中カオスと化している。何が起こって不思議ではない時代に生きている。我々は!
 この「日本沈没」は非情で非常な現実性と導きを我々に示唆するSF小説である。これは、SFではない。Non Fictionだ。
 そして、そこから、真摯に現実を見つめる姿をくみ取ることが出来れば、日本にもまだ救いがある。


「亡国記」(北野慶著、現代書館2015年)
二人の有名人の推薦の言葉が帯封に書かれています。
  • 【斎藤美奈子さん推薦!】 「最悪のシナリオ」が進行する中、日本を脱出した父と娘は生きのびることができるのか。ロードノベルの傑作です。
  • 【小出裕章さん推薦!】 原子力を選択することのツケ、本書に描かれている近未来を避けるためには、私たち一人ひとりが賢くなる必要がある。
 この小説は、東日本の福島原発がモチーフになっている。2017年4月1日、愛知、静岡に震度7の地震が発生。それと同時に東海地方を中心に大津波が発生。これに伴い静岡県にある原子力発電所で核爆発が起こり、主人公の妻はほぼ即死、ということからこの物語は始まる。  主人公の親子は間髪入れず、日本脱出を試み、どうにかこうにか日本は抜け出したものの、それに続く厳しい難民生活が親子二人を待ち受けていた。・・・・ 
 この本のアマゾンのサイトには全部で18件のカスタマーレビューが寄せられていますが、そのほとんどが「極めてあり得べきこと」との感想を持たれ、極めて現実的で深刻な恐れを持たれていることが分かりました。
 この本の推薦の言葉は先の二人の推薦の言葉に続けて「 【火山噴火と地震が相次ぐ日本の未来を明示!】 日本人の真価が問われるドラマ。原発と日本の地理的リスクについて見て見ぬふりをする日本には、どんな未来が待ち受けているのか? 苦難の中でも誠実に生きる親子の感動のラスト!」と警告します。
 原発賛成に方にはなおさらこの小説をお読みいただきたいと私も心から願います。
この小説と非常に似たものに「日本沈没」(小松左京著)がある。「日本沈没」のほうは、純粋に自然現象により日本列島が二つに割れ、沈没してしまうという舞台設定だ。ここでもやはり日本人が流民として世界中に散らばってしまう物語である。
 いずれの小説も最近の太平洋プレートとか津波とか色々の情報からすると起こっても不思議はないことである。「日本沈没」の話は後ほど紹介するとしよう。
 ここで言いたいのは、ぜひこれらの小説に目を通して、実際大事故や地殻変動が起こった場合に備え、何を準備しなければならないかのヒントを汲み取ってほしい。明日、明後日にも日本を逃げ出さなければならない時がくるかも知れない。心の準備と家族を守るために何ができるかよく考えてほしい。それも具体的に!

尚この小説「亡国記」を今まで見たことがない防災の視点から捉えたブログがあったので、ここで紹介する。
タイトル: 「亡国記」から読み解く防災の備え
     

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