「街道をゆくー中国・蜀と雲南のみち」(司馬遼太郎著、朝日文芸文庫1998年第12刷) この本は司馬遼太郎の街道をゆくシリーズの一部を構成するものだ。氏は特に中国をくまなく踏破した最も人気のあある小説家である。
私はこの本で彼が言いたかったであろうことを三つに整理してみた。
 ① 巴・蜀という地方の中国における地政学的な位置づけ
 ② 孔明の治世と蜀の発展
 ③ 古代民族の末裔と少数民族

 今回はこのうち1番についてのみ触れる。

 巴蜀は中国の西南に位置する広大な地域のことを言い、この地方には漢民族の祖となる民族である「羌」が長い間強大な勢力を誇っていた。この地域は中原から遠く離れ、しかも峻険な山々に遮られ、長い間いわば人跡未踏の地として中原の権力からは放置?されてきた。

 しかしながら、この地は早くから稲作が行われて、長江文明が芽生え、稗、粟を主食とした黄河文明よりも古くさえあった。
 この蜀が中国の歴史に登場するのは秦の始皇帝の2代目恵文王の時、中原に打って出るか蜀を手に入れるべきかの選択で蜀に白羽の矢が立てられ、戎狄を追い払い蜀を支配下におさめている。
 秦は蜀の太守である李冰親子に命じ岷江の治水工事を完成させ、荒ぶる大河にいくつかの堰を設け、内江と外江に分け、内江の水を四川盆地に導き、外江の水は長江に灌ぎいれた。しかも内江の水があふれたときは外江に流すように調整するなどし、四川盆地を肥沃な穀倉地帯に変えた。
 ② 劉備玄徳、諸葛亮孔明はこの地をさらに発展させ、この経済力を背景に魏や呉を脅かした。彼は蜀の桟道を設け、非常に危険な桟道ではあるが、蜀への道を整備した。さらに孔明の優れた治世により成都は蜀亡き後も大きく栄えている。
 蜀は南にヒマラヤ山系で他と隔絶し、地域内を流れる4つの大きな河、峻険な山々そして肥沃な四川盆地を抱えかつその面積はおおむねスペインに匹敵するという広大な面積を有する天然の要衝であり、穀倉地帯でもある。
( 続きは次回をお楽しみに下さい)